護王神社「見どころ」境内で魅力を発見!【徹底ガイド】
護王神社を訪れて、境内で多くの見どころや魅力を発見しました。護王神社は、京都の「いのしし神社」と呼ばれる程、境内には数多くの猪の像が存在しています。
この猪の像は、間違いなく護王神社の見どころの1つです。しかし、実際に参拝すると、猪の像以外の魅力も十分ある神社でした。
今回は、護王神社の見所や魅力を、実際に参拝した体験から、余すところなく紹介します。
護王神社「見どころ」
護王神社の魅力
護王神社の見どころ・魅力を一覧にしました。
護王神社「見どころ」
1.猪の像。
2.座立亥串。
3.足萎難儀回復の碑。
4.カリンの木。
5.和気清麻呂公の像。
6.大イチョウ。
7.さざれ石。
8.拝殿の四神。
9.拝殿の高雄。
10.針の碑。
11.伊勢神宮遥拝所。
12.足腰陶板塚。
13.祖霊社
14.末社。
15.人力車。
16.外壁のお札。
それでは、護王神社の見どころや魅力を、紹介していきたいと思います。
猪の像
護王神社の見どころで、メインになるのが、境内にある数々の猪の像です。護王神社と猪は、切っても切れない関係です。
「狛猪」から始まり、「幸運の霊猪」や「願かけ猪」など、約11種類の猪が存在しています。ここで全て紹介すると、とても長くなるので、猪の場所は別のページにまとめました。
護王神社の猪の像は、こちらに全て掲載しています。
⇒ 護王神社「猪」境内の像を全て紹介!
座立亥串
本殿の前には、そびえ立つ招魂樹の根元に、串が刺さってています。座立亥串です。
串には、願いを書いた紙が挟まれています。その串を「願かけ猪」の前に刺して、願いが叶うように祈願するのが座立亥串です。
護王神社のみで行われる独特の信仰で、他の神社にはない願かけのやり方です。
足萎難儀回復の碑
本殿に向かって右側に立つ足萎難儀回復の碑です。足腰の病気や怪我の回復を祈願する時は、足型の石に乗ったり、碑をさすって平癒するように祈ります。
足型の石です。碑をさする時は左側、石の乗って祈願する時は右側を使うのだと思います。
御守の型が印象の残る足腰御守の碑です。護王神社の足腰御守が、忠実に再現されています。
本物の護王神社の足腰御守です。足型の色は違いますが、足腰御守の碑と形は全く同じです。
足腰御守の碑の台座部分です。サッカーボールは、足腰を使うスポーツなので、刻まれていると思います。
碑に刻まれている人なのですが、初めはなぜこのデザインにしたのか分かりませんでした。しかし、答えは、境内に設置されている御守の紹介板にありました。
護王神社の腰の御守です。腰のお守りには、台座部分に刻まれている人が描かれています。
しかし、サッカーボールは描かれていないので、その部分は台座のデザインに付け足したようです。描かれた人が「サッカーなんて興味ないんだから」というようなツンデレ風に見えるのは、気のせいでしょうか。
カリンの木
表門から入って右側にそびえ立っているのが、御神木のカリンの木です。樹齢100年を越えるカリンの木は、ぜんそく封じにご利益があると信仰されています。
そして、その隣に立っているのが、吉井勇歌碑です。なぜ、吉井勇歌碑がカリンの木の隣に立っているのでしょうか。
吉井勇の歌集「残夢」には、カリンを詠んだ歌が三種収めらています。カリンが御神木の護王神社では、吉井勇のこれらの歌に縁を感じて、カリンの歌が刻まれた吉井勇歌碑が立てられました。
和気清麻呂公の像
和気清麻呂公千二百年祭を記念して、平成10年に建てられた銅像です。和気清麻呂公は、護王神社の祭神として祀られている神様です。
末社の前にも、和気清麻呂公の像が置かれています。こちらは、石像です。
大イチョウ
護王神社の境内には、樹齢数百年のイチョウの大木が6本そびえ立っています。境内の外からも見る事が出来る大きなイチョウの木です。
秋の黄葉が見頃の時期になると、イチョウの葉が黄金色に輝きます。
さざれ石
和気清麻呂公銅像の近くに、さざれ石が置かれています。日本一のさざれ石です。
大きさは、幅3m、高さ2m。岐阜県揖斐川町春日産になります。
国歌に詠まれる貴重な石として、神社に置かれている事が多い石です。京都市内だと、下鴨神社や吉田神社にも置かれています。
拝殿の四神
護王神社の拝殿の内側に、四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)の絵が飾られています。また、拝殿の南側の上には、四神の額が掲げられています。
四神は、四方を守護している霊獣です。東を青竜、南を朱雀、西を白虎、北を玄武が、守護しています。
東を守る青竜です。
南を守る朱雀です。
西を守る白虎です。
北を守る玄武です。
拝殿の高雄
護王神社の拝殿の北の外側に、奉納された高尾の絵が掲げられています。また、「忠烈」の額も掲げられています。
護王神社と軍艦「高雄」の関係は、高尾の乗組員の請願により、護王神社の御分霊を軍艦「高雄」を祀ったのが始まりです。
その加護があってか「高雄」は、戦火をくぐり抜けて、沈没する事無く、任を全うしました。乗組員も護王神社に参拝して、祈願をしたと伝わっています。
その縁で、拝殿に高雄の絵や「忠烈」の額が掲げられています。また、この事から、護王神社は「艦これ」の聖地にもなっています。
針の碑
針の碑です。折れた針や古くなった針を供養する碑です。
伊勢神宮遥拝所
伊勢神宮遥拝所です。京都の護王神社にいながら、三重県伊勢市の伊勢神宮を拝む事が出来ます。
足腰陶板塚
伊勢神宮遥拝所の隣には、足腰陶板塚が置かれていました。陶板とは、加熱して、その上に食材をのせて食べる板状陶器の事です。
この上に何かを焼いて食べるのでしょうか。いいえ、絵柄や文様を焼き付けた鑑賞用の板状陶器もあります。
多分、護王神社の足腰陶板塚は、鑑賞用の板状陶器なのではないでしょうか。もし食材をのせて食べる板状陶器だった場合は、一体何をのせるのでしょうか。
祖霊社(近衛社)
祖霊社(近衛社)です。護王神社の歴代宮司や神職、役員など、護王神社の発展隆昌のため尽力した故人の御分霊を、合祀して祀っている社殿です。
末社
境内の北側に並んでいる末社です。
久邇宮家御霊殿(※)です。久邇宮家の祖霊社になります。
(※「くにのみやけごれいでん」)
警察消防招魂社です。警察や消防で職務に殉じた方々が、祀られています。
人力車
境内に置かれている人力車です。護王神社で結婚式を挙げた方達のみ乗る事が出来ます。
また運が良ければ、人力車の乗っている新郎新婦に出会えます。
外壁のお札
護王神社の外壁には、護王神社が描かれたお札が紹介されています。
大正4年(1915)に発行された「乙10円券」です。左に肖像がデザインされているのが特徴です。
日本のお札で左に肖像がデザインされているのは、この「乙10円券」のみになります。右に描かれている神社が、護王神社です。
明治32年(1899)に発行された「甲10円券」です。和気清麻呂公と護王神社の拝殿が描かれています。
「甲10円券」の裏面には、護王神社の神使である疾走するイノシシがデザインされています。当時は、「裏イノシシ」と呼ばれていたそうです。
昭和5円(1930)に発行された「丙10円券」です。戦前で最も色数が多いお札となっています。
「丙10円券」の裏面の中央には、護王神社の本殿が、凹版印刷で描かれています。
このように、護王神社は境内の中だけではなく、外にも魅力が詰まっています。
護王神社について
護王神社の概要
護王神社は、京都市上京区、京都御苑の西側に位置する神社です。平安遷都に貢献した和気清麻呂公とその姉を祀っています。
清麻呂公の難を救った事から、猪が神使です。またその時に、清麻呂公の足萎えも回復した事から、足腰平癒にご利益がある神社として、信仰されています。
羽生結弦氏が怪我をした時に、多くのファンが彼の足のけがの回復祈願に護王神社を訪れたのはこのためです。
護王神社の歳時
護王神社の歳時の中で人気が高いのが、「初詣」「節分祭」「亥子祭」です。個人的に、護王神社三大行事と心の中で呼んでいます。
どの歳時も多くの人が集まって、境内はとても賑わう行事です。特に「節分祭」の豆まきの時は、まかれた豆などを求める人の熱気(殺気?)が凄まじいです。
「節分祭」の豆まきに参加した時は、他の参加者の迫力に負けて、ほぼ何も出来ない状態でした。しかし、豆まきに巻かれるものが豪華なので、京都の「節分祭」の中でも、おすすめです。
護王神社へ元旦に初詣へ行った様子は、こちらに書いています。
⇒ 護王神社へ初詣、元日の深夜に参拝!
護王神社へのアクセス
護王神社へのアクセス方法です。
最寄駅から徒歩7分。
最寄駅:地下鉄「丸太町駅」