聖護院八ッ橋総本店と井筒八ッ橋本舗。

2018年12月2日

聖護院八ッ橋総本店と井筒八ッ橋本舗

聖護院八ッ橋総本店の八ッ橋について

江戸時代中期の事です。
八橋検校という人物がいました。

八橋検校と書いて、読み方は「やつはし けんぎょう」です。
彼は、箏の名手であり作曲家でもありました。

彼が作った「六段の調べ」は、名作と言われています。
その才能から、近世筝曲の開祖と称えられている人物です。

八橋検校が亡くなると、金戒光明寺の常光院に葬られます。
そのお墓には、墓参に訪れる人が絶える事がありませんでした。

そこで、琴に似せた干菓子を作ります。
その干菓子は「八ツ橋」と名付けられました。

そして、黒谷参道にあたる聖護院の森の茶店で販売されます。
それが、聖護院八ッ橋総本店の八ッ橋の始まりです。

元禄二年(1689)の事になります。
聖護院八ッ橋総本店の八ツ橋は、元禄二年(1689年)に誕生しました。


井筒八ッ橋本舗の八ッ橋について

八橋検校は、物を大切にする人物でした。
ある日の事、井筒茶屋の主人が飯びつや桶を洗っているのに気づきます。

そして、主人に残った米を捨てるのはもったいないと諭しました。
その後、残った米を利用して、堅焼煎餅の作ると良いと教えます。

この事が、京の堅焼煎餅の起こりと伝わっています。
八橋検校が亡くなった後、琴の形に仕上げた堅焼煎餅を販売します。

この堅焼煎餅は、「八ッ橋」と名付けられました。
それが、井筒八ッ橋本舗の八ッ橋の始まりです。

文化二年(1805)の事になります。
井筒八ッ橋本舗の八ッ橋は、文化二年(1805)に誕生しました。

聖護院八ッ橋総本店と井筒八ッ橋本舗

聖護院八ッ橋総本店と井筒八ッ橋本舗は、京の八ッ橋の老舗です。
その老舗同士が、八ッ橋の創業を巡って争っているというニュースを見ました。

井筒八ッ橋本舗が、聖護院八ッ橋総本店を提訴したそうです。
法廷で争う事態になっているので、正直なんだかなぁという気分です。

八ッ橋を購入する側からすれば、創業なんて気にしません。
少なくとも、私は全く気にしません。

八ッ橋は食べ物なので、歴史の深さより美味しさが重要です。
ただ、八ツ橋を売る側からすれば、重要な事なのかもしれませんね。

今回は、この両者の争いの事ではありません。
ニュースを見た時、聖護院八ッ橋総本店を撮影した事を思い出しました。

全くブログに出す機会がなかったので、ここで掲載していと思います。

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聖護院八ッ橋総本店本店です。

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この場所になります。

聖護院八ッ橋総本店を出すなら、井筒八ッ橋本舗も出したいと思うのが人というものです。

そういう訳で、撮りに行ってきました。
京阪「祇園四条駅」で下車。

そこから、徒歩3分。

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井筒八ッ橋本舗祇園本店です。

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この場所になります。

井筒八ッ橋本舗祇園本店は、かつて北座があった場所で営業しています。

掲載する機会がなかった「聖護院八ッ橋総本店本店」。
「井筒八ッ橋本舗祇園本店」と一緒に掲載出来て良かったです。

まぁ、両社は争ってはいますが、それはそれとして置いておきます。
両社には、美味しい八ッ橋を提供して頂ければ、個人的には嬉しいです。

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Posted by 観光のコツ