足利尊氏

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足利尊氏の基本情報

足利尊氏のお墓

鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。
和源氏の名門・足利氏の出身で、貞氏の子。 初め鎌倉幕府に仕えるが、後醍醐天皇の命で幕府を倒す。後醍醐天皇の建武政権に反発した武士が蜂起するのを鎮めるが、上洛命令を無視して鎌倉に留まり、討伐令を受ける。しかし戦いの末、後醍醐天皇を京から追いやった。その後、光明天皇をたてて征夷大将軍に任じられ、室町幕府を開いた。

足利尊氏の年表

〜1305(嘉元3)年・1歳〜
足利貞氏の長男として生まれる。

〜1319(元応元)年・15歳〜
元服。名前を高氏と改める。

〜1331(元弘元)年・27歳〜
笠置攻めのため上洛(元弘の乱)。

〜1333(元弘3)年・29歳〜
幕府の命令で、後醍醐天皇の軍を討つために上洛。 六波羅探題を滅ぼし京都を解放。
新田義貞が鎌倉を攻略し、鎌倉幕府が滅亡。
高氏から尊氏と改名する。

〜1335(建武2)年・31歳〜
中先代の乱を鎮圧のため出陣。
征東将軍に就任。政務を弟・直義に譲り浄光明寺へ。 直義の軍が敗れると出陣し、箱根で新田義貞を勝利し上洛。

〜1336(延元元)年・32歳〜
新田・楠木・北畠軍に敗れ九州へ。
九州を平定したのちに上洛。
「建部式目」17条を制定。

〜1338(延元3)年・34歳〜
北朝より征夷大将軍に任命される。

〜1349(正平4)年・45歳〜
執事・高師直と直義が対立。

〜1350(正平5)年・46歳〜
南朝と講和した直義と対立。

〜1351(正平6)年・47歳〜
直義との戦いに敗れる。
直義を討つため南朝と和睦。

〜1352(正平7)年・48歳〜
直義を鎌倉で毒殺。
南朝が京都を占領するが、足利義詮が京都を奪還する。

〜1353(正平8)年・49歳〜
南朝が再び京都を占領する。

〜1355(正平10)年・51歳〜
足利義詮とともに再び京都を奪還する。

〜1358(正平13)年・54歳〜
病死。享年54歳。

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